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最高裁判所第一小法廷 昭和38年(オ)842号 判決 1968年6月27日

上告人 田中正治郎

被上告人 国

訴訟代理人 斎藤健

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人霜山精一、同小島利雄、同大野正男の上告理由第一点について。

民法七二四条にいう「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」とは、単に損害を知るに止まらず、加害行為が不法行為であることもあわせ知ることを要することは所論のとおりであるが、その不法行為であることは、被害者が加害行為の行なわれた状況を認識することによつて容易に知ることができる場合もありうるのであつて、その行為の効力が別訴で争われている場合でも、別訴の裁判所の判断を常に待たなければならないものではない。登記官吏の過失により土地所有権を適法に取得しえず損害を蒙つた場合も、右の理に変りはない。

本件のように、上告人が被上告人に対して賠償を求めている損害が、登記官吏が過失により登記済証の偽造なることを看過し違法な所有権移転登記申請を受理したために、それを信頼して取引をした上告人が右土地の所有権を取得しえず、かつその地上の建物を収去せざるをえなくなつたことに基づく損害である場合には、右土地の所有権が上告人に適法に移転されたか否かについて、特に裁判所による法律的判断をまつまでもなく、上告人は右事実関係を認識することにより、その損害およびそれが右登記官吏の過失によるものであることを知つたものということができる場合もありうるのである。

しかして、本件記録に徴すれば、上告人は、自ら調査した結果右の如き事実関係が判明したと主張して、被上告人に対し、土地代金相当の損害の賠償を求めて本訴を提起しているのであるから、本件原審認定の事実関係のもとにおいては、少なくとも本訴の提起の時において、前記事実関係を認識したものと認めるのが相当であり、その時に右土地の所有権を取得しえないことによつて生ずる損害および加害者を知つたものというべきである。したがつて、これと同旨の見解にたち、上告人が本訴提起の時に所論損害および加害者を知つたものとした原審の判断は相当である。所論引用の判例は、本件と事案を異にし、本件に適切でなく、論旨は採用できない。

同第二点について。

被害者が不法行為に基づく損害の発生を知つた以上、当時その損害との関連において当然その発生を予見することが可能であつたものについては、すべて被害者においてその認識があつたものとして、民法七二四条所定の時効は前記損害の発生を知つた時から進行を始めるものと解するのが相当である。他人の不法行為により、買受けた土地の所有権を取得しえず、その地上に建築した建物を収去せざるをえなくなつた場合において、土地代金を支出した損害と、家屋を収去することによる損害は、その性格において所論の如き差異があるとはいえ、いずれも同一不法行為によつて生じた損害であるうえ、買受人において右土地の所有権を取得しえない以上は、その土地の利用権原を有せず、その地上建物を収去すべき義務を有することは当然であるから、両者はともに右不法行為の当然の結果として生ずる損害であつて、買受人は右不法行為によつて右土地の所有権を取得しえないことを知つた当時右建物収去による損害をも予見しえたものということができ、右建物収去による損害に関する民法七二四条所定の時効も、その時から進行を始めるものといわなければならない。

なるほど、所論のようにかかる事態に直面した土地の買受人としては、和解等の方策を講しる場合もあるであろうが、そのことは、土地所有者から建物収去土地明渡の訴が提起され、その旨の判決が確定した場合であつてもなお同様であり、かように損害に対する救済の途が残されているからといつて、その手段の残るかきりいつまでも損害を知りえず、したがつて時効も進行を始めないと解することは相当でない。されば、これと同旨の見解にたち、上告人が本訴を提起したとき、同人は右建物収去による損害を知つたものとし、その時から右損害賠償請求権の時効が進行を始めたものとした原審の判断は相当である。これと異なる論旨は採用できない。

同第三点について。

一個の債権の教量的な一部についてのみ判決を求める旨を明示して訴を提起した場合、訴提起による消滅時効中断の効力は、その一部の範囲においてのみ生し残部には及ばないと解すべきことは当裁判所の判例とするところであつて(昭和三四年二月二〇日第二小法廷判決民集一三巻二号二〇九頁参照)、今なおこれを変更すべき必要をみない。ことに、不法行為に基づく損害賠償請求において、被害者自身が訴を提起するに当り、全損害の数量的部分を請求するのではなく、一定の種類の損害に限り裁判上の請求をなすことを明らかにし、その他の種類の損害については、これを知りながらあえて裁判上の請求をしない場合には、右の理は一そう明らかである。もしその請求のなかつた部分についても訴提起の時に時効が中断したとするならば、その結果として被告たる加害者の地位を不当に長期に不安定にするおそれがあり、法が不法行為について特に短期間の時効期間を定めた趣旨にも反するものといわなければならない。されば、本件において、本訴提起後三年を経過した後になつて、上告人がした所論拡張にかかる損害賠償請求権が時効消滅したものとし原審の判断は相当であつて、これと異なる論旨は採用できない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致で、主文のとおり判示する。

(裁判官 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)

原判決が上告人田中の附帯控訴(原審における請求拡張部分)につき、被上告人国の消滅時効の抗弁を認め上告人田中の右請求部分を棄却したのは、民法七二四条及び一四七条一号の解釈適用を誤り、かつ大審院判例(大正七年三月一五日言渡民抄録七七巻一七七八一頁)に違反する。

以下その理由をのべる。

第一点原判決は民法七二四条にいう「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」の解釈適用を誤り前記大審院判例に違反している。

原判決は、上告人において本訴を東京地裁に提起した昭和三三年七月二五日より、消滅時効の進行が開始すると判示している。

しかしながら、本件土地の所有権が自分に帰属していないことを上告人田中が知つたのは、訴外鳥海京対上告人田中正治郎間の土地移転登記抹消、家屋収去土地明渡請求訴訟において、東京高等裁判所が昭和三五年一一月二六日右事件について、田中敗訴の一審判決を支持して、控訴棄却の判決を言渡し、田中が上告せず確定したときであり、消滅時効は右時点より進行を開始すると解すべきである。

上告人田中は突然訴外鳥海から右請求をうけ大いに驚いたが、何分にせよ、所有者という鳥海と譲受人(上告人への譲渡人)関口との関係が全く不明であるため、自己の権利関係については半信半疑のまま、一方においては、訴外鳥海からの請求を争いつつ、他方万一を慮つて予備的に本訴を国に対して提起したのである。

原判決は、本訴を提起した以上、少なくもこの時において、本件土地の当該部分の所有権が訴外鳥海京の所有に属することを知つたものと考えられる、というのであるが、まさに本件のように、一方においては自らの権利を主張しつつ他方実質的には予備的に本訴を提起しているような状況にあつては、権利関係自体係争中で未定の問題に属し権利の存否の認識もまた不確定である。

およそ所有権が適法に移転されたか否かは、高度に法律的な判断と、慎重な事実認識を要するものであり、それが裁判上の判断の対象となつている場合には、裁判所の判断の確定をまつて、始めて被害者にこの点についての確定的認識が生ずるものと解すべきである。

現に大審院大正七年三月一五日の判決は「損害ヲ知ル」とは、単純に損害を知るに止まらず加害行為の不法行為なることをも併せ知ることの意味である旨判示しているが、その内容を検討すれば、違法な仮処分命令の執行による損害賠償請求権の時効はその仮処分命令の違法が本案又は確認訴訟で確定してから進行すべきものであることを判示している。

ところで、仮処分命令が違法であることが裁判上確定するためには、被害者(被申請人)より仮処分異議又は取消の訴訟或いは権利確認、損害賠償等の本案訴訟が提起されなければならない。然るに、右大審院判決が、被害者よりするこれら訴提起のときをもつて時効進行開始点とせず、仮処分が違法である旨の裁判所の判断が確定した時であるとしたことは重要な意味がある。

つまり「損害を知る」という意義は、単に被害者が不確定に知つたときではなく、それが係争中であれば、裁判所の判断がなされた時の如き、確定的なものをさすと解すべきである。

原判決は、この点上告人の本訴提起をもつて直ちに損害を知つた時としているがこれは法令の解釈適用を誤りかつ判例違反である。

第二点本件土地代金相当の損害を知つたことと、土地上の建物の収去による損害を知つたことは別種の問題であり、前者の時点もつて、当然後者の時効の起算点としたことは民法七二四条にいう「損害ヲ知リタル時」の解釈適用を誤つたものである。

原判決は、上告人田中の請求拡張部分(本件土地上の家屋を収去した損害賠償)の時効の起算点を、土地代金相当額の損害賠償を被上告人に請求した昭和三三年七月二五日としているが、当時は、家屋は土地上にあつて現に上告人田中が居住利用していたものであり、同家屋は、昭和三六年三月訴外鳥海との別訴確定をまつて収去されここに損害が発生したものである。

民法七二四条にいう「損害ヲ知リタル時」とは必ずしも損害の程度又は数額を了知することを要するものではないが、「損害の発生したる事実」を了知することを要する。(大審院大正九年三月一〇日判決、民録二六揖二八〇頁)

ところで、家屋収去による損害は、被上告人国の登記官吏の過失によつて生じたものであるが、しかし、土地代金相当額の損害とは別種の損害である。

つまり、第一審判決及び原判決が認容した土地代金相当額(上告人田中が訴外関口に支払つたもの)及び仲介手数料相当額(上告人田中が訴外岸本不動産株式会社に支払つたもの)は、本件土地所有権が、上告人田中に移転していない以上、直ちに損失となるが、その土地上に建てた家屋は、その土地の所有権の帰属如何にかかわらず、上告人田中の所有に属するもので、家屋の所有権が上告人田中に属し現にその居住利用をしている以上その家屋建築費が当然に損害になるとはいえない。

土地所有権がない以上、地上家屋の利用及び所有が不能になる可能性は存在しているけれども、これとて本件土地の購入、賃借権の設定など相手方の同意をえれば土地の利用は可能であり、現にこの種事件においては、裁判の内外における和解によつて右の如く解決している例も極めて多いことは公知の事例に属する。

土地所有権がないからといつて、直ちにその土地上の建築費が損害になるわけではなく、そこに真の所有者との話合がつかないとか、資金がないとかの理由が加わつて始めて家屋収去による損害が発生するのである。従つて両者は別種の損害であり、土地代金相当額の損害を請求したからといつて、家屋建築費相当の別種の損害を知つていたということはできない。

別種の損害には、別種の認識が必要である、本件においては、上告人田中所有の家屋が、無権限占有の故をもつて収去しなければならないことが確定した時点をもつてその損害を知りたる時と解すべきである。

そもそも消滅時効制度は権利の上に眠る者を保護しない趣旨であり、これを拡大して、被害者の権利行使を著しく困難ならしめるように解釈適用すべきではない。

不法行為は、債務不履行と異なり、アクシデントとして生ずる場合が多く、損害も多様である。その損害、特に現に発生していない損害をあらかじめ予測し、これを将来に向つて請求しておかない限り権利消滅すると解するのは、社会の実態に合致しないのみならず、時効制度の本旨に反する。

殊に、態様を異にする未発生の損害についてまで、あらかじめ併せて請求しておかなければならないとするにおいては、被害者の権利行使に重大な支障をきたすものであるから、「同種の損害」はなるべく限定的に解すべきであり、土地の損害と家屋の損害までこれを同種と解すべきではない。

第三点然らずとするも、請求拡張部分は、昭和三三年七月一五日になした本訴の提起により時効中断されているものであり、本訴に時効中断の効力を認めなかつた原判決は民法一四七条一号の解釈適用を誤つたものである。

原判決は、訴の提起によつて時効の中断されるのは、従前の請求範囲に限られ、後の請求拡張部分にまで中断の効力が及ぶものではない。と判示している。

しかし、前述のように、既に支払つた土地代金相当の損害と家屋収去の損害とが同種であるとの見解をとり両者は同一時点から時効が進行を開始するとしながら他方時効中断効については両者の請求は別個であり、前者の請求は後者の時効進行を中断せしめないとするのは、余りに時効援用者にのみ利益に法を運用するものであるといわざるをえない。

そもそも消滅時効制度は前述のように、権利の上に眠る者を保護しないとか或いは立証の困難、継続した事実状態を尊重するという趣旨で設けられているのであるから、本件の如く裁判上の請求をもつて同一行為を原因とする損害賠償請求がなされている以上、これに関する同種の損害も潜在的に訴訟係属しているのであり、後に請求を拡張することによつて、これが顕在化したにすぎないのであるから、従前の請求をもつて、その範囲にしか時効中断の効力が及ばないとする合理的理由は存しない。

現に同一行為について事件が裁判所に係属しているのであるから、右の如く解したからといつて加害者に特段の不利益を及ぼすことはない。

不法行為の損害は仲々その程度や数額を確知し難いのが実情である。又因果関係の範囲も考え方によつて必ずしも一定していない、例えば交通事故による幼児死亡の場合の損失利益や慰藉料の算定など判例も区々である。

このような場合、不法行為による損害賠償の裁判上の請求を加害者に対して行つているのは、特段の場合(例えば特にその請求範囲を限定しているようなとき)を除いて、被害者は少くも潜在的にはその不法行為によつて生ずる全損害を請求しているとみられるのであり、その請求の範囲を訴額として明示された額に限定し、それ以外は請求しておらず、従つて権利の上に眠つていると考えるのは極めて不合理であり時効制度の趣旨に反する。

現に大審院は、保険契約確認の訴を提起している限り、その裁判上の請求が基本的権利関係の存在確認を求めているのにとどまり、それから発生する具体的な保険金の請求を求めていない場合(従つて、この点の既判力は生じない)でも、なお前者の訴は後者時効進行を中断すると判示している(大判昭和五年六月二七日民集九巻九号六一九頁、なお判例民事法昭和五年我妻教授の賛成評論)。

本問題に関する先例としては、大審院大正一一年七月一〇日判決、同昭和四年三月一九日判決及び最高裁第二小法廷、昭和三四年二月二〇日判決があり、判例上も学界においても大いに説の分れるところである、最高裁の前記判決は、消極説をとり拡張部分につき訴訟提起の時効中断の効力は及ばないとするが、藤田裁判官の有力な反対意見があるのみならず、学界においても強い反対がある(我妻教授、判例民事法昭和四年九〇頁以下兼子氏民事法研究一巻四二〇頁三ケ月教授法学協会雑誌七七巻一号九三頁)。

それは、時効制度の実質的意議から考えて、かかる場合になお被害者を権利の上に眠る者として加害者に保護を与えることは実体的にみて不当であるとされるという実質的側面からの意見(主として我妻教授の説)と、民法一四七条と民訴法二三五条を密接不可分と考えることは合理的でなく、又訴の際の請求と後の拡張部分の請求とが全く別個の訴訟後と考えることは誤りで、前者の請求により後者についても潜在的に訴訟係属か生じて居り、民法一四七条、一五七条にいう裁判上の請求とは顕在的訴訟係属に限らないとする訴訟法理論(主として兼子、三ケ月教授の説)によるものである。

何れにしても、明示的に請求を限定した場合に限らず広く一般的に昭和三四年二月二〇日の最高裁第二小法廷の判決の趣意を適用することは極めて危険であり実質的正義に反する、従つてその範囲で右判例は変更されるべきものである。

殊に一方、時効中断の効力を極めて限定的に解し、他方時効進行の要件たる「損害ヲ知リタル時」を広く解するときは被害者に対してはその権利行使を著しく制限的に、かつ困難なものとし加害者に対しては時効の名によつて厚く保護する結果となり甚しく均衡を失するに至る。

以上の点よりして原判決は取消されるべきである。

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